我が平成が去った

今回の記事は、個人的な平成の総括です。 a.k.a平成エッセイ

2019年5月1日は、私にとって初めて元号が変わった日だ。
平成は去り、令和が訪れる。

平成は、経済的にも停滞し、苦しい時代だったと昭和を生きた人はよく言う。
だが、子供時代を過ごした私から言わせれば、大人の失策が目立っただけのように思える。
バブル崩壊で始まり、リーマンショックのとばっちりを受け、未曾有の災害が毎年のように起こり、出生率は下がり、一方で自殺者が増えた時代だ。
また、国際的にはテロリズムが席巻し、冷戦は表面的に終わったように見せかけしぶとく生き残っている。
こう書くと暗い時代だったが、私は平成に生まれ、平成に育った。それ故に少々の愛着も持っている。

例えば2011年は、日本中の人にとってもそうだろうが、私個人にとっても様々な変化の年だった。
私は9か月間南米に旅行しており、3.11を国外で経験した。
当時の私はニュースを見ていなかった為、第一報をもたらしたのは外国人だった。
「日本で大きな地震があったらしい、家族は大丈夫か?」
聞くと仙台の方で起こったという。家族は遠くに住んでいるので、大丈夫だと答えた。
その時、事の大きさにはまだ気づいていなかった。
後にネットでみたニュースや地球の裏側のカフェで流れるテレビの映像で、事の重大さを理解した。
それ以降、こまめにニュースを見るようになったのは言うまでもない。
現地の人からは、色々な声をかけられた。
日本は必ず立ち直るといった励ましの声や、福島原発事故に対する非難の声もあぅた。

また、同じ年に祖父が亡くなった。
祖父とは良い思い出しかない。
地球の裏側にいた為に、葬式には参列できなかった。

話はガラリと変わるが、
日本を出てから9か月後、帰ってくると街の光景は一変していた。
iphone4が発売され、今までみんなガラケー(スマホ登場以降の単語だが)だぅたのが、スマホに置き換わっていた。
たった1年間でこれほど普及したものは、過去に例が無かった。
スマホ登場以降、個人が1日に得る情報量が増えたせいか、時が流れが速くなっているように感じる。
今ある物やサービスが1年後にも変わらず続いてるとはもはや断言できない時代になった。

このように今思えばこの1年間は、海外経験ができたことが大きかったが、それ以外の面でも驚きが多く、自分の価値観を決定づけるような1年になったような気がする。

今後について思うこと


平成はグローバル化を皆が推進し、表面上はそれが浸透した時代だったが、令和ではローカルの良さを再発見し、それを外に向かって発信できる人が増えなければならないと思う。要はグローバルとローカルを上手く使い分けた人が勝つ。

また、特に日本人は量から質に移行せねばならない。消費者としては、少々高くても品質の良いものを買うことで質の高い社会を作る。同時に、食べる量や使う量も少し減らすことで、無駄のない社会を作る。
一方で労働者としては、長時間労働に追われるのではなく、効率を上げ不要な仕事を無くし、それによって生まれた時間で仕事の質をあげたり、新たなアイディアを探す事に時間を費やすべきだろう。これによって客側には不便に感じることが出てくると思うが、それは仕方がない事だと思う。過剰なサービスは無駄や人手不足(=長時間労働)を生む。次の時代には神様など不要なのだ。

このような流れは、少しではあるが確実に広がりをみせてきていると思う。
例えば、長時間労働に対する意識や、副業への関心の高まり、地元で作られた家具を内装に使用したホテル、個人事業主によってこだわりを持って作られる商品の数々などに垣間見ることができるだろう。
これから令和という時代を作る一人の大人として、私も平成時代の反省を生かした流れを作っていかねばならないと思う。
もう受け身ではいられない。
その結果として、後に平成という時代の評価は低くなるかもしれないが、過去は振り返らない。

少し遅くなったが、さようなら平成

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